*写真提供:山本祐一郎
5つの全体会で24本、5つの分科会で110本以上。ポスターセッションで40本、Rapid Fireと呼ばれる短い時間での発表が約30本と、多くの発表があった。
ポスターセッションは、コーヒーブレークと同じく会場となった中庭で開かれた。
障害のあるアーティスト達によるパフォーマンスがふんだんに用意されていた。
役員に選出されたのは、アフリカネットワークから3人、アメリカネットワークから3人、アジア太平洋から3人(会長のグーラム・ナビ・ニザマニ、副会長のトゥリカ・ダス、太平洋からセタラキ・マカナワイ)、ナワフ・カバラ、ニノミヤ・アキイエ(APCD所長)、インドのベンカティッシュ、さらにもう一人。
規約草案作成や宣言文作成に携わった、WHOコンサルタントビシュヌ(ネパール)、佐野竜平氏(APCD)等が壇上で紹介され、大きな貢献を行ったとチャパル氏から讃えられた。
第二回CBR世界会議(2016年)はマレーシアで開催されることとなり、マレーシアの政府代表から紹介があった。
宣言文が採択された。紹介者はWHOのトム・シェイクスピア氏、朗読は組織委員会Poonam Natarajan委員長。
標記会議に参加したJANNET関係者の報告・感想を掲載しています。以下の内容はJANNETメールマガジン12月号(2012年)にも掲載されています。
2012年11月26日から28日まで、インドのアグラで、第一回CBR世界会議が開かれました。会議には86カ国から1,200人が参加し、「権利実現への鍵」、というテーマで研究発表や具体的な活動報告が行われました。
日本からはJANNETから派遣された4人を以外に発表者、参加者を含めると12-3人が参加したのではないかと思います。
この会議の成果として、CBRグローバルネットワークが設立されました。CBRのネットワークは現在、アジア太平洋、アフリカ、中南米の3つの地域に設立されており、それらネットワーク間の交流を図り、国連等にコミュニティレベルの障害のある人の声が届くこともねらいとして設立されました。事務局は、アジア太平洋 障害者センター(APCD)に置かれ、2016年に予定される、第二回CBR世界会議はマレーシアで開催されることになりました。閉会式では、日本で2015年に開催予定の、第三回アジア太平洋CBR会議のアナウンスをさせていただきました。
*写真提供:宮本亮平
今回、CBR世界会議に参加する機会を得て、CBRに関して雲が晴れて視界がパッと開けた感じです。CBRやCBID*1に関してJANNETを通して学んできたのですが、断片的な理解にとどまり、よくわかっていなかったことがよくわかりました。ICF*2やUNCRPD*3が提唱されるに及び、障害が再定義され、障害者の権利が確立された上でのCBRは「進化するCBR」でした。そのことにWHOは大きく貢献し、更にILO*4やUNESCO*5を巻き込んでジョイントペーパーを出し、CBRガイドラインやCBRマトリックスにまとめるなど、理念や理論面での進化に合わせた新たなCBRの戦略やすすめかたを提示して、インクルーシブな社会の実現に向けて世界が歩調を合わせてすすんでいけるようにしているダイナミズムを実感しましたが、その背後にはIDDC*6など欧州を中心とするNGOがネットワークを形成してWHOに強く働きかけた成果でもあったとのこと。また、CBM*7sup>やSightsavers*8といったINGO*9が地元NGOとともにCBRに特化した活動を展開してCBRの実施に努めていたことで、このようなCBRをめぐる世界的な大きなうねりとなっているのだ、ということがよくわかりました。多くの実践例の中でもハンセン病に取り組むNGOがCBIDを展開しているという発表が目を引きました。2006年から中南米、アフリカ、アジア太平洋でネットワークが立ち上がり、3地域でCBR活動をすすめ、今回ようやく世界会議にこぎつけたという記念すべき国際会議だったのだ、とその道のりに想いを馳せました。1970年代から現在に至るCBR推進者が登壇して、各人が語るCBRは圧巻でした。その中に日本人が少なくない数で含まれており、私も早くキャッチアップし、その一翼として社会的な役割を果たせるようになりたいと強く思いました。貴重な体験となりました。このような機会を与えていただき、心から感謝いたします。
初日は、ラテンアメリカについての分科会に出席しました。その中で注目したのはニカラグアの事例です。地震やサイクロンなどによる災害が多く、アメリカ大陸で二番目に貧しいとされる国とのことですが、政府はNGOへの協力に積極的であり、また地域の活動は盛んであるとのことです。CBM(国際NGO)は、幼少期の教育分野でのCBR活動として、幼少期に学校を通して政府から両親に配られる冊子に、障害の予防や対応についての基礎的な知識を掲載することで啓発を行うというアプローチを取ったようです。この冊子は、特に障害のことに特化したものではなく一般的なものであり、浅くはあるけれども広く知識を広めているとのことです。また、学校の教師への教育や、地域のボランティアを巻き込んで眼の検査を行うなど、興味深い活動をしているようでした。
2日目の「CBRと地方政府」と「CBRとインクルーシブなコミュニティ開発」の2つの分科会の双方で、CBRプログラムを持続可能なものにするためには、従来のNGOをはじめとした民間セクターと住民組織によって地域開発を行うのではなく、中央・地方政府など現地の公的セクターを巻き込んでいく必要性が強調されているように感じられました。
3日目の「エビデンスに基づくCBRの実践」においては、シドニー大学の発表で「プログラムを実施したことの説明責任を果たすため(だけ)のデータ集積が多い風潮にある。しかし、プログラムを改善するため、およびプログラムがこのように役に立っていると言える根拠ともなるデータを、モニタリングから得ることが大事である」という論調の発表が印象に残りました。
今回インドで開催された第1回CBR世界会議では、3日間にわたり、5つの分科会で、のべ110本以上の発表がCBR実践者や研究者によって行われました。
発表のテーマは、「教育」、「ジェンダー」、「権利擁護」など分野別、あるいは、「アフリカ」、「中南米」、「アジア」など地域別に分けられ、障害における社会生活上の具体的な課題が幅広い範囲で取り上げられました。その中でも、会議3日目に行われた「CBR Practices」のセッションでは、CBR事業を実際に展開している「インプレメンター(実施者)」によって、様々なCBRの好事例が発表され、現場の視点を通じて、CBRの重要性を改めて学ぶことができました。
当セッションでは、例えば、中国における精神障害者グループに対しての自己管理力向上プログラムや、インドにおけるハンセン病患者の社会参加プログラムの紹介などがありました。その中でも特に印象に残った事例は、カンボジアでの障害に対する偏見を減らすための「Inclusive Play」についての発表でした。「Inclusive Play」とは、就学前の段階で、障害をもつ子どもと障害をもたない子どもが一緒に遊ぶという啓発活動です。この取り組みは、障害児の就学率向上を促すだけではなく、地域住民の障害に対する偏見が低減されたり、障害者に対する接し方や態度が改善されたりと、波及効果および持続発展性がみられます。
障害者のための支援事業に関する知見を現場に応用する際に生じるギャップを埋めるためには、包括的な支援活動を含む事業展開をする必要がありますが、今回発表された様々な活動から多くの学びを得ることができました。AAR Japan [難民を助ける会]は、2009年よりミャンマーで、CBR事業を実施しており、これらの好事例を基に、今後も、事業を進展させていければと思います。
今回、このような規模の会議に参加するのは初めてで、当会の活動について発表させていただけたことを光栄に思います。また、JANNETにサポートいただき、改めて感謝申し上げます。障害当事者も支援者も、背景が多彩な人々が参加されており、ネットワークを構築する絶好のチャンスとなりました。障害者支援に力を入れている団体として、今回築くことができた多くのCBR実践者との関係を大切にしていきたいと考えています。
AAR Japan [難民を助ける会]のミャンマー事務所では、2009年よりCBR事業を始め、障害のある方へ支援を行ってきました。今回、CBR世界会議に参加し、当会が現地で行っている事業やその成果について発表する機会をいただきました。
ミャンマーにおける障害者の多くは学校に行っておらず、そのため職を得ることも難しく、多くが貧困に陥っています。今回の発表では、AAR Japan [難民を助ける会]がミャンマーで取り組む、障害者への就学支援と就労支援について発表しました。
当会は就学支援を通じて、障害児の受け入れを躊躇する学校や、教育への理解が低いために障害児を通学させていない家族に対し、当会職員が学校や家族と話し合いを重ねることで、障害児を普通学校で受け入れてもらう啓発活動を実施しています。また、就労支援では、障害者グループが始めた小規模店舗経営や、増えた家畜の一部を分け合う家畜銀行システム作りについて紹介しました。地域住民や政府関係者へ障害についての理解を促すため、地域で啓発活動も行っています。
CBR世界会議では、障害者の発展を地域社会全体の発展にもつなげていく必要があるとの声があり、今後はミャンマーの活動地域においても地域に住む住民をもっと巻き込み、障害者とともに持続性のある活動を行っていきたいと思います。
様々な国から種々の発表があり、ミャンマーCBR事業で行っている活動、行っていない活動と比較しながら聞くことができました。精神障害に関する発表も多く見られました。ミャンマー事業においてはどのくらいの精神障害者がいるのかさえ把握できていない状態で、これから精神障害への支援も広げていければと思っています。
普段日常業務では自分たちの活動だけに目を向けてしまいがちでしたが、今回国際的な会議に参加することができ、同じような問題を抱えながらも前進している団体、新たなことに挑戦している団体を知ることができ、とても励みになりました。
*写真提供(上記4枚):山本祐一郎
CBR関連の国際会議に参加するのは、一昨年のマレーシア、昨年のフィリピンに続き3度目でしたが、毎度のことながらその場に充満するエネルギーの強さに大いに刺激されました。
CBR本来の特性によって、多彩な背景を持つ人たちの集まりとなるCBR会議の場は、喜ばしい驚きとがっくりくる驚きの入り混じった混沌の場でもあります。
まず良い方の驚きとして、これまで以上にリハ職の発表の目立ったことがあります。それだけでなく、「ピアグループの活用に一部の医学的リハ手法と同等の有効性が立証された」という発表など、CBRの理念や枠組みにふさわしい発表が散見されました。「CBRのRをどう扱うか」という課題は以前から指摘されていますが、双方のハーモナイズの可能性を感じさせる一面でした。
一方で、がっくりくる驚きも専門職による発表にありました。例えば、「座敷牢に暮らしている精神障害者の運動能力改善のために座敷牢部分を広くすることが有効」という医師の発表は、どこがCBRか?と心が暗くなる思いでした。
思えばごった煮には雑多な食材が入っているが故の旨みがありますが、一方でアクの強さや混沌とした気味の悪さもあるかもしれません。CBRはまだまさにそんな状況にあるように感じました。ごった煮的な旨みを残したまま、ある程度レシピの整った料理としてCBRを洗練するために、自分は何が出来るだろうと考えさせられる参加になりました。
以上