JANNET研究会 2004
国際障害NGOの目指すこと
〜障害者の権利条約制定に向けて〜
進行 田中徹二 JANNET副会長、日本点字図書館理事長
発表者 松井亮輔 JANNET会長、日本障害者リハビリテーション協会副会長
中西由起子 DPI日本会議、アジア・ディスアビリティ・インスティテート代表
松友 了 全日本手をつなぐ育成会 常務理事
指田忠司 日本盲人会連合 国際委員会事務局長
小椋武夫 全日本ろうあ連盟、世界ろう連盟アジア太平洋地域事務局長
山本真理 全国「精神病」者集団 (欠席:資料配布のみ)
福島 智 日本盲ろう協会 理事(メッセージ代読:藤井明美)
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目次
++1
冒頭の挨拶 田中徹二、JANNET副会長、日本点字図書館理事長
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これまでの経緯説明 松井亮輔、JANNET会長
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発表:各国際障害NGOに関する報告
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「Disabled Peoples’ International :DPI」の活動について
中西由起子、DPI日本会議、アジア・ディスアビリティ・インスティテート
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「Inclusion International (II:国際育成会連盟)」の活動について
松友了、全日本手をつなぐ育成会
++3-3
「World Blind Union (WBU:世界盲人連合)」
指田忠司、日本盲人会連合 国際委員会事務局長
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「 World Federation of the Deaf (WFD: 世界ろう連盟)」
小椋武夫、全日本ろうあ連盟
++3-5
「Rehabilitation International (RI: 国際リハビリテーション協会)」
松井亮輔、日本障害者リハビリテーション協会
++3-6
「World Federation of the Deafblind (WFDb:
世界盲ろう者連盟)」
福島智(メッセージ代読:藤井明美)
++4
質疑・応答・ディスカッション
++1
冒頭の挨拶 日本点字図書館理事長・JANNET副会長 田中徹二
皆様、本日は、JANNET研究会に参加いただきありがとうございます。
今回の研究会のテーマは「国際障害NGOの目指すもの〜障害者の権利条約制定に向けて〜」ということですが、それについて少し、私からお話をさせていただきます。
現在、国際連合が障害者権利条約の成立に向けて急ピッチで作業を進めております。もちろんそれは各国の政府の代表が議決権を持ち、採択するかどうか決めるわけですが、障害者のNGOの団体が積極的にバックアップをしておりまして、その中心になっているのが国際障害同盟です。障害別の8団体からできているNGOです。
一方、日本では、障害者の当事者団体ということで、日本障害者フォーラム(JDF)準備会というものがあります。秋には「日本障害者フォーラム(JDF)」という正式の団体としてスタートすると聞いております。(注:2004年10月31日正式発足)
そこで本日は、それぞれの団体がこの障害者権利条約に向けてどういうことを考え、どういう行動をしているかにつきまして、各団体の方々をお招きして簡単に説明を受けたいと思います。そして、そのあと皆さんのご意見を聞ければと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。
++2
これまでの経緯説明 JANNET会長 松井亮輔
今日は各関係団体の方々から、障害者の権利条約に向けてのそれぞれの取り組みについてのご報告をうかがえるということで、日曜日の午後にもかかわらず、多くの方々に参加いただけたこと、本当にありがとうございます。
最初に私のほうから、なぜいまの時期に権利条約なのかということについて簡単な説明をさせていただき、そのあと、各団体としてどういう取り組みをされているのか、あるいは使用とされているのかをお話しいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
お手持ちの資料を見ていただくと、最初のほうに「障害者権利条約の歩み」という年表が出ています。それを中心にかいつまんで説明をさせていただきます。ご承知のように、障害問題を権利の問題としてとらえるという最初のきっかけになったのは、1971年の国連総会で採択された「知的障害者の権利宣言」です。この宣言は、唐突に出てきたわけではなく、1948年の世界人権宣言がそのベースとなっています。「世界人権宣言と六大人権条約」というのが資料の図表2にありますが、世界人権宣言を具体化するため、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」―これは通常「社会権規約」といわれています―および「市民的及び政治的権利に関する国際規約」―これは通常「自由権規約」といわれています―が1966年の国連総会で一緒に採択されています。
そのあと時代が少し遅れますが、「女性差別撤廃条約」、「児童権利条約」、「人種差別撤廃に関する国際条約」および「拷問等禁止条約」がつぎつぎに採択されましたが、これらの六つの条約をあわせて六大人権条約といわれています。60年代以降、こうした人権あるいは権利の問題が、国連の場で取り上げられてきたわけです。
このような流れの中で、71年に知的障害者の権利宣言が、さらに1975年には「障害者の権利宣言」がそれぞれ国連総会で採択されました。とくに障害者の権利宣言の内容を各国の中で具体化していくための有力な手段、ということで1981年の国際障害者年が設定されたわけです。ご承知のように、国際障害者年のテーマは「完全参加と平等」で、それを具体的に実現するための手立てとして、82年に「障害者に関する世界行動計画」ができました。国連ではこれを1983年から92年までの10年間かけて実践していくということで、取り組みをすすめてきました。
その間1987年にはイタリア政府から、さらに89年にはスウェーデン政府から「障害者差別撤廃条約」がそれぞれ提案されています。これらの提案が、今回の権利条約の先駆けといえます。しかし、両国政府によるこの条約案は、日本政府をはじめ、ほとんどの政府から相手にされませんでした。その意味では、時期尚早だったわけです。各国政府が、この提案を支持しなかった主な理由としては、先ほど触れましたように、「すでにすべての人を対象とした六大人権条約があるにもかかわらず、なぜ障害者のための人権または権利条約が必要なのか」という意見が80年代にはかなり強かったことがあげられます。その結果、妥協の産物として、スウェーデン政府からの提案で実現したのが、1993年の「障害者の機会均等化にかんする基準規則」です。
条約と基準規則の基本的な違いは、条約が国連で採択され、それを国が批准した場合には、批准した国は国内の関連法を条約に従って改正しなければならないこと、また、批准した条約について、各国は定期的にその実施状況を報告する義務があるわけです。それに対して、基準規則は、条約とは違って拘束力はありません。つまり、条約の場合は、実施を義務付けられているのに対し、基準規則の場合は、努力義務ですから、実施するかどうかは各国の自主的判断に委ねられるということになっています。そこが条約とは基本的に違っているわけです。
国連では、障害者の権利宣言を採択し、それを各国で具体化するために「障害者に関する世界行動計画」をつくり、「国連・障害者の十年」(1983〜92年)でその実施をすすめるとともに、その努力をさらに継続すべく基準規則を採択したわけですが、それらには拘束力がないため、期待したような実効があがりませんでした。
ご存知のように、いま世界には191ヵ国ありますが、その3分の2が途上国です。財政事情などもあり、途上国における取り組みがどうしても遅れがちのため、途上国も含め、どう具体的に障害者の権利実現に向けて取り組んでいくのかということが、重要なテーマとなっています。
2001年12月にメキシコ政府等からの提案を受けて採択された決議は、権利条約を検討するということではなく、権利条約への諸提案を検討するための特別委員会を設ける、ということでした。したがって、必ずしもストレートに権利条約をつくるのではなく、「さまざまな提案を見た上で、検討する」ということで特別委員会ができたわけです。最初の特別委員会は、2002年7月下旬から8月上旬にかけてニューヨークの国連本部で開かれました。この第1回目の委員会の具体的な成果は何かというと、「少なくとも第2回目の委員会を開催することが、決議された」ということです。わたしたちが同委員会を傍聴して非常に感激したのは、ごく少数ではありましたが、政府代表団の中に障害当事者が入っている国がいくつかあったということです。第1回特別委員会での日本政府の対応は、本章から代表を送って議論に参加するのではなく、とりあえず国連代表部関係者がでて、様子を見るといった程度でした。
2002年の暮れの国連総会で、第2回目の特別委員会を2003年6月に開催することが決まりました。その決議採択にあわせ、国連では第2回特別委員会にあたって、各国政府および国際障害同盟をはじめ、国際NGOに対して、条約内容にどのような内容を盛り込むべきかについて意見書を出して欲しいという要請がなされました。その結果、第2回目の委員会までに、さまざまな意見書が各国政府および国際NGOなどからでてきました。第2回特別委員会では、条約草案を起草するための作業部会の設置が決議され、その決議がその年の国連総会で採択されたため、今年1月ニューヨークで作業部会はひらかれて、条約草案の競う作業が行われました。
ご承知のように、国連の正式メンバーは、各国の政府です。したがって、特別委員会を含め、さまざまな委員会は通常政府代表によって構成されるのが基本です。しかし、今回の特別委員会については、メンバーとしてNGOも加えるということになりました。とくに障害当事者の方々が参加できるような配慮をするということが強調され、NGO代表くわえ、政府代表団の一員としても障害当事者の人たちが参加しています。政府代表とNGO代表が対等な立場で議論をするというのは、きわめて画期的なことといえます。
1月の作業部会で作った条約草案について、5月下旬から6月上旬までの2週間にわたって開かれた第3回特別委員会で検討が行われ、そこで草案についてさまざまな意見が出されました。こうした議論が今後どのように取りまとめられていくのかよくわかりませんが、少なくとも今回の委員会では、草案を修正して成案として取りまとめるということではなく、さまざまな意見をできるだけ多く出させるようにし、それらの議論を踏まえて、この8月下旬から9月上旬に開かれる第4回特別委員会で成案作りに向けて議論を煮詰めているということになるのではないか、と思われます。
現在の特別委員会の議長はエクアドルの国連大使ですが、同大使としては、できるだけ早く成案をつくり、それを国連総会で採択する方向に持っていきたいという意向が大変強いようです。これまでの経験では、条約の検討が開始されてから成案になるまで10年あるいは15年もかかる場合が多いようです。その意味では、今回の権利条約については、どの程度の内容で各国がよしとするかにもよりますが、場合によっては数年で、あるいは国連総会で採択されるという可能性もありうるのかもしれません。
先ほども触れましたように、国連加盟国191ヵ国のおよそ3分の2が途上国ですから、条約の内容があまり高い水準だと、途上国の大半はお手上げということになります。先進国が国際協力で条件整備をしてくれるというのであれば、途上国としてはよいのでしょうが、途上国自らの努力で取り組んで実現していくというのは難しいということになりかねません。いずれにしても、どのレベルであれば条約として採択可能かがひとつのメルクマールになるのではないでしょうか。これまでの流れをざっと説明させていただきましたが、この流れを踏まえ、このあとの議論を展開していただければ幸いです。よろしくお願いします。
++3
発表:各国際障害NGOに関する報告
++3-1
「Disabled Peoples’ International :DPI」の活動について
DPI日本会議、アジア・ディスアビリティ・インスティテート 中西由起子
DPIには、今、世界135カ国が加盟をしております。加盟条件としてはクロス・ディスアビリティー、つまり、障害種別の壁を越えてあらゆる種類の障害者が集まっている、国のネットワーク、それも当事者自身の団体であることということで、1カ国につき1団体が会員として認められて、このDPIを形成しています。
DPI(Disabled Peoples’ International)の名称ですが、英語を習われた方は「“障害を持つ人々の”ならば普通、Disabled
People'sで、アポストロフィーSじゃないの?」とか、「ピープルというのは、そもそも複合名詞で、1人の人ではなくて人々を表すわけですから」ということで、よくこの名称を間違えて書かれるのですが、そもそもこの名称は、さまざまな人たちの集まりが更にたくさん集まって、というような意味合いで付けられましたので、あえてそこに意味を持たせるためにピープルを複数形にして所有を表すアポストロフィーで表しています。
DPIのロゴのマークを見ていただくと分かるように、世界の5地域を集めていると同時に、ロゴの周りにVox
Nostraと書いてあります。これはラテン語で、「我ら自身の声」という意味です。それがスローガンになっております。
今、私が属しているのは、DPI日本会議を通してのアジア太平洋ブロックなのですが、世界人口の60パーセント以上を網羅している地域となっているために、DPIでは最大の地域になっています。
本部は今カナダのウィニペグにあります。創立は1981年ですが、以来ずっとそこに置かれていて、機関誌は「Disability
International」を発行しております。詳しいことはホームページ「http://www.DPI.org」をご覧いただけると更に分かると思います。
このDPIができました目的は「我ら自身の声」、さっきお話ししたVox
Nostraを通しての「1.障害者の人権の推進」、「2.障害者の経済的、社会的統合の推進」、「3.障害者の団体の開発と支援」です。その一つとして、今回の障害者の権利に関する国際条約への取り組みがあります。
設立以来、権利意識の高い団体で、1981年の設立以前は障害を持つ人のためのさまざまな国際舞台での発言は専門家によってなされることが多かったのですが、「いや、そうではない。自分たち自身で」ということで、「我ら自身の声、Vox
Nostra」がスローガンになったわけです。
先程、松井さんのお話にありましたが、82年に国連でできました「障害者に関する世界行動計画」の起草委員会でも、権利意識に基づいてかなりDPIの代表が出ていきましてさまざまな貢献をしました。例えば、リハビリテーションの定義。それまでは、リハビリテーションというのは医療、それから教育、職業、社会リハビリテーションに分かれ、障害者が一生コントロールされるようなものという意識があったのですが、「いや、そうではない。目的を限った、期間を限定した行為だ」というような定義に変えました。93年のさっきお話に出ました「機会均等化に関する基準規則」の時にも、パネルのメンバー等で、これを条約にするための試みを随分したのですが、それがうまくいかずに今回の条約の討議につながったわけです。
また、今アジア太平洋地域では第2次「アジア太平洋障害者の十年」が始まっておりますが、1993年の第1次「アジア太平洋障害者の十年」の時、また2003年から始まりましたこの2次に関しましてもDPIが口火を切って今に至っていると確信しております。
DPIがこの権利条約に具体的に何をしてきたかは、2001年4月9日に、最初に公式に国際条約への取り組みについての声明を出しております。まだ権利条約を推進しようという声が高まってきていた段階で、国連が具体的なレスポンスを出していませんでしたので、この2001年秋の総会が山場と考えて、それに向けてDPIが「社会における完全参加と平等確立のために、すべての障害者の権利に関して法的拘束力を持つ国際条約を求めてたたかうことに最大限の努力を払う」と声明を出しました。
それで、2001年にアドホック委員会、つまり特別委員会の設立が開催され、それから、2回目が2003年の6月ですね。この時にはDPIは条約開発の全プロセスにおいて意義ある、インクルーシブでアクセス可能な参加の重要性と、NGOが審議に参加する意義と、それから国連任意基金、つまりボランタリーファンドによるNGOの参加者、特に障害者ですが、そこへの財政支援を訴えています。
そして2003年の2月には、条約が具体化されましたのでDPIがポジションペーパーを発表しました。ここでは主に三つの事態に焦点を当てて意見を述べています。まず条約の性質について、これは既存の人権条約にはない障害者の権利を十分に保障する条約であること。それから2番目の点は、条約の実施の方法で、障害者が参加したモニタリング機構を設置すること。それから3番目の要件は、条約作成のプロセスについてです。条約に関する情報をよく伝え、障害開発のプロセスにあらゆる障害者が参加できるようにアクセスを保障すること。それを中心にポジションペーパーを発表致しました。今までお話しした点に関しましては、最初にご紹介しましたDPIのホームページに詳しく出ておりますので、ご覧になってください。
そして一番最近、2004年5月、ニューヨークでの3回の特別委員会での意見陳述ですが、ここでDPIの主な発言をまとめてみますと、まずデータが欠如していて障害者が不利を被っている問題。それから、既存の人権法では障害者の家族が保護されていないこと。それから、障害児の搾取・虐待や、障害を持つ難民や孤児が扱われていないこと。それから、23条では重度や重複障害を特筆しているのですけれども、そういう見方をするということは医療モデルに偏っているのではないか。それから、生活水準と社会保障という問題は別途に考えること。それらを中心に発言をしております。
第3回の特別委員会では、NGOの発言は、かなり制限されていますので、NGOの方たちも、あまり全部の点を網羅してお話しになれなかったと思います。だんだんと条約は細かい事態に移ってきまして、例えば教育に関しての討議になりますと、障害によってニードが少しずつ違うわけですよね。ほかのNGOの方たちは、かなり明確にポジションペーパーを用意することができるのですが、むしろこの3回目辺りからになりますと、DPIは各障害の立場を共に訴えていきながら、かつ利害の対立する部分、ニードの異なる部分をまとめる、という役割になりつつあるような印象を受けています。
これは、ちょうどDPIが、この2004年5月の第3回特別委員会の少し前から、さっきご紹介がありましたIDA・国際障害同盟、これはちょうどここに集まってらっしゃる六つの団体の方たちが集まった国際的なネットワークです。DPI世界会議議長のヴィーナス・イラガンが同盟の委員長に就任しました。それで、更にこの調整の役割がやりやすくなっているのかなと思うのです。それぞれの権利が出てくる中で、できるだけオーバーロールなみんなのニードを訴え、その後、それぞれの団体がご自分たちのニードを実現するために言及しきれなかった部分を訴える、という形で、これからのDPIが権利条約の中で、みんなの注意を喚起していけたらと考えます。
++3-2
「Inclusion International (II:国際育成会連盟)」の活動について
全日本手をつなぐ育成会 常務理事 松友 了
限られた時間ですので、まずはInclusion International(通称II)、私たち、国際育成会連盟と訳しておりますが、これがどんな組織であるか、ということ、次に今度の権利条約にどのような対応をしてきたかをお話し、最後にワーキンググループ、つまり全日本育成会との関係、取り組み等について簡単にお話ししたいと思います。
Inclusion Internationalは1960年に設立されておりますので、比較的古い団体だと思います。当初から権利擁護というのを掲げております。ご存じのようにかつて欧米においては、ヒトラーがおこなった障害者虐殺政策がありました。その反省から、現在まで一貫して権利擁護団体という姿勢を持っているわけで、わが国においては、わが育成会を含めて、非常に認識が弱いわけでありますが、そういう流れの中から、先程、松井先生からこのことについてご紹介ありました、1971年に国連で「知的障害者の権利宣言」が出たわけです。これは、1968年にエルサレムで開催された第4回国際育成会連盟総会の特別宣言なのですが、これを国連に持ち込んで認めさせた、といえるものであります。
今、国際育成会連盟は大変活動が停滞していると理解しておりますが、現時点では、ロンドンに暫定的な事務所がありまして、正会員は1カ国1団体でありますが、準会員が加盟できまして、それを合わせると115カ国から199団体が加盟していると言われております。日本からは「全日本育成会」が正会員、「日本知的障害者福祉連盟」が準会員として加盟しております。
2年前のメルボルンでの世界会議のあとの総会で、大きく組織が改変されております。その中で、理事は12名と非常に少なくなりましたが、そのうち3名が知的障害がある本人、それから6名が家族、そして3名が専門職ということになっておりまして、これは基本的にやはり家族が中心の団体になります。
そのために、「インクルージョン」という理念やその構成等により「当事者団体と言えないじゃないか」という、いろいろな議論や、やり取りがあったようであります。しかし、これは発達障害という知的障害の場合の特徴であろうかと考えます。そういう意味では、われわれは、リハビリテーション・インターナショナルと同様、いわゆる純粋な、といいますか、本人自身だけで構成している団体ではないということであります。
さて、4年に1回、世界会議が開かれておりまして、2年後にはメキシコのアカプルコで予定されております。その間に2年おきに総会があって(世界会議のときにも総会があるのですが)、今年は総会のみの年でありまして、アフリカで予定されています。
大体そういう歴史があって、比較的大きい団体でありますが、先程言いましたように、あまり組織としては、しっかりしておりませんが、動きとしては非常に活発になってきているのが「ピープルファースト」という知的障害者本人の運動でありまして、その影響を受けているのか、若干、今、育成会連盟の活動は従来に比べると停滞しているというふうに理解してます。
国連の人権条約に対するアプローチでありますが、IDAに加盟する中で活動しており、IIとしてのポジションペーパーは1回出たと記憶をしておりますが、特にこの間のものを入手しておりませんので、ちょっと詳しく分からないわけであります。
現在IIのほうはロバート・マーチン、ニュージーランドのIIの中の本人活動委員会の委員長でありますが、彼が先程の、いわゆるワーキング・グループの代表として、NGOのIIの代表として出ておりまして、今回の特別委員会でも彼が代表的なかたちで発言をしていった、というような簡単な報告が来ております。そういう意味では、若干IIとしての人権条約に対する組織的な対応については、弱さを感じているところであります。
最後に、わが育成会、国内、日本の組織との関係について申し上げますと、長い歴史でありまして、今は5つの地区に分けられて、地区を中心に活動を進めています。これは、ひとえにヨーロッパユニオンの結成が影響しているような感じがしますし、ARCと言うアメリカ合衆国の団体がIIを脱退しており、その辺りの関係がわれわれのほうでは理解しがたいのですが、そういう意味では若干組織的な問題もあるようでありますが。
今は、日本はアジア太平洋地区という所で加盟しております。現在、ニュージーランドのムンロと言う方が理事で、これがAPDFの副会長もやっているようであります。先日、彼が日本に来まして、いろいろ打ち合わせしたんですが、「今度のアフリカの世界総会のときに、アジア太平洋地区の理事を日本のほうに移したいので、日本からぜひ理事を引き受けてくれ」ということがあって、先日、三役会議で受け取ったんですが、わが育成会は全く国際活動に熱意がなくて、何とか結論を出させないまま、長瀬さんの帰国を待って、対応できるようにしたいと思っているところであります。と言いますのは、8年前まで、この国際活動については「全日本育成会」が直接の会員でありながら、実際の窓口は「日本知的障害者福祉連盟」のほうにほとんど丸投げしてたというか、そっちのほうで対応していただいたようなかたちをしていたために、非常に育成会の中で国際活動に対する認識が低いということと、親の団体だということで、自分の地域の問題が中心だということで、対応が弱いところがあります。
ただ、逆に本人諸君活動(本人活動と言っておりますが)、本人諸君のほうが積極的に世界会議等参加しておりまして、つながりが逆に出てきている。ですから、これは世界の傾向と同じでありますが、やはりわれわれのほうはピープルファーストとかいう名前を使ってはいませんが、本人諸君たちの活動の中から、特にマーチンとの接点が強いもので、また、そういう人権意識であるとか国際活動についての問題を提起していく必要があろうかと思っています。
これはニュージーランド政府が出したようでありますが、先程の、いわゆる草案に対して、知的障害者の方に分かりやすいように非常に易しい英語で書かれたものが発行されております。かつて基準規則について、スウェーデンもやはり同じように非常に易しく書かれたものを発行しており、われわれは、それをパクらせていただいて日本語に訳したのですが、そういう意味では、やっぱり当事者を念頭に置いた活動がなされているということは大変学ばなくちゃいけないと理解しております。
ありがとうございました。
++3-3
World Blind Union (WBU:世界盲人連合)
日本盲人会連合国際委員会
事務局長 指田忠司
今日はWBU(世界盲人連合)の組織、活動、そして日盲連国際委員会、あるいは日本の視覚障害者団体とWBUとの関係についてお話しし、さらに権利条約に関する取り組みについてお話したいと思います。
現在、世界には1億8千万人の視覚障害者がいると言われていますが、WBUは、これら視覚障害者を代表して発言し、行動する唯一の国際NGOです。158カ国、600の組織が加盟しております。
視覚障害関連の国際組織の歴史は1930年代に遡ることができますが、それは主に、視覚障害者にサービスを提供している団体が世界会議を行うもので、永続的な組織ではありませんでした。第二次大戦後、その団体が整備されてWCWB(世界盲人福祉協議会)が結成されました。これはいわばサービス・プロバイダーの国際組織ですが、60年代末には、IFB(国際盲人連名)という視覚障害当事者の国際組織ができました。そして70年代後半から、視覚障害関係の組織が分立することによる運動の不利益を解消するための努力がなされ、WCWBとIFBが同時に解散し、84年にサウジアラビアで初めてWBU(World
Blind Union)という新たな組織が結成されました。この組織の特徴の一つは、各国代表団の過半数が視覚障害者でなければならないとされており、当事者性が重視されていることです。
WBUの場合には世界を六つの地域に分けており、ヨーロッパ、アフリカ、北米カリブ、ラテンアメリカ、そして中東を含むアジアと、アジア太平洋地域の六つです。各地域がそれぞれWBUの使命を果たすために、地域での自主的な活動を行っています。日本は、WBUAP(アジア太平洋地域協議会)に加盟しており、ここを活動の拠点にしています。
日本からの代表については、日本の当事者団体である日盲連、サービス・プロバイダーの全国組織である日本盲人社会福祉施設協議会、そして教育界の代表である盲学校長会の代表の三者からなる日本盲人福祉委員会という組織がWBUへの窓口となっており、WBUへの国家代表8人を派遣しています。
日盲連の国際委員会は、WBUへの窓口である日本盲人福祉委員会の活動を支えるために、日盲連という当事者団体の中に2003年5月に設けられた組織で、その活動を通じてWBUAP、そしてWBUの活動に加わっています。2003年の11月にはシンガポールで開かれたWBUAPの中期総会、今年の5月には、WBUAPのマッサージ委員会が香港で開いたマッサージセミナーに代表を派遣しています。このセミナーは1991年から始まったもので、視覚障害者の多くが従事するマッサージ業の分野における国際交流の場としてたいへん貴重なもので、今回で7回目となります。
権利条約に関するWBUの立場を示す文書としては、今回資料として配布しました2003年2月現在のマニフェストがあります。これはWBUの各地域代表、そして国連及び関連機関にコンタクトを取っている方々からなるワーキング・グループが作成したもので、WBUの権利条約に対する見解が示されています。ただ、この時点では条約草案は出ていませんので、第1回の特別委員会(2002年7月)を受けた形で、このマニフェストが出されています。これをまとめたのは、英国盲人協会の議長で、EBU(ヨーロッパ盲人連合)会長でもあるコーリン・ロウ氏です。
日盲連としては、第1回の特別委員会と第2回の特別委員会の傍聴団に代表を派遣しています。第1回目は笹川会長が、第2回目は私が国際委員会の委員として参加しました。今年5月に開かれた第3回特別委員会には代表を送っていませんが、JDF(日本障害フォーラム)準備会のメーリングリストを通じて、視覚障害者の立場から意見を表明しています。今回の特別委員会に備えて、JDF準備会では作業部会草案に対する見解をまとめましたが、そのとりまとめに際して、視覚障害者団体の立場から、教育、情報アクセスなどの面で、日盲連国際委員回委員長の竹下義樹弁護士と私が意見を提出しました。
今回の特別委員会では、WBU、世界ろう連盟、世界盲ろう連盟の三者が、教育に関する草案をまとめています(英文配布資料あり)。この草案をまとめるにあたっては、JDF準備会の意見が参考になったとして、WBUのキキ・ノードストローム会長から感謝のメールが寄せられています。
ノードストローム会長からいただいた最近のメールでは、このような教育に関する共同提案の他に、障害の定義、自己決定権、障害原因の予防などについて、会長の見解が書かれていました。そのうちのいくつかを紹介します。
まず、障害の定義については、国際的にこれを定義するのは難しいだろうから、障害に関する各国の定義を出し合って比較検討することが先決だとしています。こうしたプロセス無しに包括的な定義をしてしまうと、かえって障害者を作り出してしまうことになりかねない、その点に注意すべきだと指摘しています。
障害原因の予防については、貧困によって衛生状況が悪化し、障害が発生しやすくなる。したがって、障害を発生させる原因となる貧困や悪い衛生状態をなくしていく方向での取り組みが必要であり、障害原因の予防策そのものについては条約に含めるべきではないのではないか。むしろ、衛生問題、健康問題として取り組むべきではないか、というようなコメントをしております。
また重要な問題として、国際的モニタリング組織に関する提案もあります。その中で私の興味をひいたのは、どういう組織を作るかという点で、8ヶ国が2人ずつ代表を出して、16人からなるモニタリングのための組織を設ける場合、各国代表は男女各1人になるようにするという提案です。ノードストローム会長は、長年、障害女性の発言機会の拡大に尽力してきた方ですが、モニタリングに際してもこうしたジェンダー・バランスに配慮することを忘れていない同氏の姿勢に、改めて首尾一貫したものを感じた次第です。
以上、WBUの組織、日本国内組織との関係、WBU及び日本の視覚障害者団体の権利条約への姿勢などについて概観しました。今年8月の第4回特別委員会ではどのような審議が展開されるのか、また12月に南アフリカのケープタウンで開かれる第6回WBU総会ではどのような議題が審議されるのか、いろいろと不透明な点がありますが、自体の変化に即して、国内組織としての柔軟な取り組みが展開できるように努力していきたいと思います。
++3-4
World Federation of the Deaf (WFD: 世界ろう連盟) 小椋武夫、全日本ろうあ連盟
世界ろう連盟の流れということでは、今お話しすると、ちょっと時間が無駄になりますので省かせていただきたいと思います。詳しいことにつきましては、ホームページを見ていただければありがたいと思います。
ニューヨークの作業部会のほうでまとめました権利条約に対して、いくつかの意見を申し上げたいと思います。世界ろう連盟としては、権利条約に一番重要なのは、ろう者にとって手話が言語であるという点です。
昨年の10月、バンコクでの草案では、世界ろう連盟の高田名誉理事長から、情報コミュニケーションにアクセスする権利、また教育の権利、それから言語を広げるところでの言語領域における平等など、ろう者の権利に関する項目をいくつか新規に入れて提案しましたが、ニューヨークの作業部会においては、その草案を作る際に、言語には音声言語と手話と二つあるという定義は入れられたものの、ろう者の情報を保障するために必要な細かい提案が省かれていました。これは本当に残念なことです。
この2週間にわたってニューヨークで開かれました特別委員会の報告を見ていますと、各国の代表間で、ろう者にとって手話が大切なコミュニケーション手段であるということに対する理解は深まっていると思うのですが、まだまだ自国語の補足であったり、あるいは代替的なコミュニケーションという見方をされているようです。世界ろう連盟の主張は、あくまでも「手話は、れっきとした言語である」ということです。手話が言語であると認められれば、手話による教育、また手話による裁判など、さまざまな分野におけるろう者の権利が保障されます。
特別委員会での各国政府の発言を聞いていて、世界ろう連盟は次のように発言しています。「さまざまなコミュニケーション方法を一つの条項に統合することには異議はありませんが、その中に手話を入れるべきではありません。なぜならば、手話は言語であり、代替コミュニケーションの方法ではないからです。この条約の目的が、われわれの権利剥奪からの復権であるならば、ろう者の言語的権利を守ることは、重要な要素となります」。
特別委員会で、世界ろう連盟は教育についても発言しています。ろう児が手話を覚えてしまうと、他言語を習得することができなくなるという誤解から、多くのろうの子供たちは手話でのコミュニケーションを禁じられてきたという歴史的背景があり、その状況は緩和されてきてたとはいっても、現在でもまだ続いています。そのために社会において手話は特別な見方をされてきました。また、私たちの言語が認知されなかったことから、ろう者に対してあらゆる差別や誤解を生み出す結果となりました。
1995年からスタートしている人権教育の国連の10年宣言では、すべての人は教育を受ける権利があり、すべての人に生きる力を育てる教育を展開しなければならないと書いてあります。
しかしながら教育を受ける権利についてバンコク草案に書かれていた重要な条文である「聴覚に障害のある子どもは手話による教育を有する法的、行政的、政治措置を講じて、手話に堪能なろう者または健聴の教師の採用を保障し、手話による質の高い教育を提供しなければならない」という部分も残念ながら省かれていました。
また、ろう者への教育を構築していくためには、手話などを含めたろう者のための教材開発やろう者に教育できる人材が必要です。そしてろう者に合った教育を行い、ろう者のとしての主体的な学びを大切にしなければなりません。教育の目的の中に子供たちが一人ひとり豊かな感性を持った人間に成長することが含まれると思います。聞こえないことで人と関わることが出来ないような問題を無くして、あらゆる人と関わる力を育てる必要があります。
手話は言語学者も認めた文法体系などを持つ言語であります。点字とは違うものです。条約の中で、点字と同じように扱うことは困ります。ろう者と盲人たちの多くがろう学校と盲学校に分けるという分離教育の必要性を主張しています。ろう者と盲人のニーズを考慮して学習計画、利用可能な物理的環境など良質な教育への条件を作らなければなりません。
コミュニケーションへのアクセス権利も省かれたようですが、コミュニケーションという英語の意味を調べますと、二つの意味があります。
一つは、ICT情報通信技術のときにつかう通信という意味のコミュニケーションです。障害者がパソコン、携帯、テレビなどの情報通技術を利用して社会とアクセスすることは当然保障しなければなりません。
もう一つは、人間的コミュニケーションの保障です。人間は豊かなコミュニケーションの中で自己主張をしたり、さまざまな夢を語り合いながら成長します。当然、ろう者にとっても、この基本的な意味のコミュニケーションも保障されなければなりません。
この権利条約を議論する際に、情報通信のコミュニケーションアクセスばかり強調されて、本当の人間的コミュニケーション保障が忘れられています。
ニューヨークの特別委員会では、レバノン政府が手話通訳者の養成を条文に入れるという提案をしたり、ウガンダ政府が各国において公式手話の開発を提案しています。オーストラリア政府も、手話ができる教師の採用の必要性を述べています。少しずつ理解は広まっています。
再三申し上げますが、権利条約にろう者の立場で一番重要なのは、ろう者にとって手話が第1言語であるということです。また手話通訳者の養成、派遣、あるいは設置、これも保障されなければなりません。
やはり人間としての復権のために、バンコク草案の主張を今の権利条約に含めていただくことを強く要望します。
以上が、世界ろう連盟アジア太平洋地域事務局の意見です。
ありがとうございました。
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リハビリテーション・インターナショナル(RI)
日本障害者リハビリテーション協会 松井亮輔
先ほどご説明しましたレジュメの後半部分にRIのホームページからとった資料がありますので、それを参考にしながら、RIの取り組みについて簡単に報告させていただきます。
RIは、1922年で創設されました。当初は国際肢体不自由児協会という、主として障害児を対象とした団体でしたが、やがて障害成人に重点が移り、1966年に現在の名称になりました。会員は、約90ヵ国の200団体から構成されています。RIでは世界を六つの地域にわけており、日本はアジア太平洋地域に所属しています。わたしは現在RIアジア太平洋地域担当副会長を務めています。RIは毎年総会を開いていますが、1999年のロンドンで開かれた総会で、2000年代憲章を採択しています。RIはその憲章のなかで、「私たちは、あらゆる社会のすべての人びとの人権が認められ、保護されるようにするという決意を持って、2000年代を迎える」とし、「これらの目標を達成するための重要な戦略として、本憲章は、国連障害者権利条約の制定を支持するよう求めるものである」と宣言したわけです。
RIは、もともとは専門家団体と考えられてきましたが、いまでは役員の半数は障害当事者ということになっています。たとえば、私たちが所属しているアジア太平洋地域では、私が副会長ですが、私と一緒に役員会に入っている次席副会長(香港)は、障害当事者の方です。現会長であるレックス・フリーデン(米国)も障害当事者です。その意味では、専門家団体といわれながら、執行部の過半数が障害当事者で占められるということになっています。
ところで条約草案は、25条からなっており、その中でリハビリテーションについては、21条に「保健およびリハビリテーションに関する権利」ということで、保健とリハビリテーションがセットになっています。ご承知のように、日本ではリハビリテーションといえば、リハビリテーション病院とかリハビリテーション温泉療養に象徴されるように、一般的にはリハビリテーションは機能回復訓練とイコールと思われがちです。しかし、リハビリテーションは決して医学プロバーなものではなく、もっとひろい側面をもっています。ただ、どこまでをリハビリテーションというかについては、議論がありますが。そういう意味では、RIとしては、保健とリハビリテーションがセットになっていることには、反対です。資料としてつけされていただいた権利条約に関するRIのポジション・ペーパーでも触れられているように、もちろん保健とリハビリテーションには連携が必要ですが、あくまでそれぞれ別のものとして、分けて考えるべきだということです。
RIとしてとくに強調している点は、機会均等化です。障害のために平等な参加ができない部分がたくさんあるわけで、そこをどう保障していくかが課題です。機会均等化を実現するために、必要なことをきちんとやるべきであるということです。そのことに関連して取り上げられているのが、合理的配慮(reasonable
accommodations)です。これは、障害をもつ人たちが対等の立場で参加するために必要な環境整備のことです。日本では環境というと物理的なアクセスの整備と理解されがちですが、物理的な環境だけでなく、アクセスの対象には制度上の問題も含まれます。たとえば、いわゆる欠格条項といって、障害をもつ人たちについて、一定の職業につくための資格がとれないといったことが現実問題としてあります。これは、最近改善されてきていますが、まだまだ問題が残されています。
こういう制度上の問題とか、一般市民が障害をもつ人に対して持っている偏見などをいかにして取り除いていくのか、また、とくに重度の障害をもつ人の場合、介助などが必要なわけですが、それをきちんと提供していくことによって、はじめて対等の立場で参加できるようになる。したがって、そういう補償をきちんとしていく必要があります。対等の立場にするための補償行為―それを「ポジティブアクション」といっていますが―は、決して逆差別には当たらないということも条約の中で規定していくべきである、とRIは強調しています。
近年市場化ということで、各国とも国の役割をどんどん減らし、言うならば競争原理で民営化を積極的にすすめていますが、権利条約については、基本的には国の責任であることをきちんと位置づける必要があります。もちろん国に対して、民間団体やさまざまな団体が協力するのは、必要なことですが、責任主体がどこかを明確にすることがきわめて重要であるとRIは考えています。
権利条約が制定された場合、批准した国は、モニタリング機関である国連人権委員会に対して、実施状況について定期的に報告をする。そして対応が不十分な場合には人権委員会から勧告が出されることになっています。しかし、現在の条約草案には、作業部会での時間的制約もあって、モニタリングについては、書かれていません。少なくとも権利条約が有効に機能するためには、きちんとしたモニタリングメカニズム―国際的モニタリングと同時に国内的モニタリングもあわせた仕組み―を整備しておく必要があります。そうでなければ、権利条約はできたけれども、それは形だけのものになりかねないからです。
すでに何人かの方々から話がありましたが、国内の主要な障害関係団体のネットワーク組織として日本障害フォーラム(JDF)が間もなく設立されようとしています。JDFに加盟する各団体が連携しながら国内のモニタリング組織づくりについてもしっかり発言していく必要があるのではないでしょうか。
JDF準備会では、特別委員会の政府代表団の中にも代表を送り込むとともに、特別委員会の前に政府と条約草案について意見交換をしています。権利条約制定に向けてこのようにJDFが政府とパートナーシップを組むことで、官民が一体となって権利条約への取り組むというかたちが徐々にできてくるのではないでしょうか。その成果を大いに期待したいと思います。
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World Federation of the Deafblind (WFDb:
世界盲ろう者連盟) 福島智(メッセージ代読:藤井明美)
皆様こんにちは。全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表委員の福島智です。本日は、この会議に出席できませず、申し訳ございません。
日本の障害者団体が障害種別を越えてこのように協力することは、アジアでの障害者運動の連帯、そしてIDAに代表されるような世界的な障害者運動の横断的連携へとつながる大変重要な取り組みだと思います。
私たち盲ろう者の組織と運動は、国内的にも国際的にもほかの障害者運動に比べて歴史が浅く、力も弱く、まだまだ未成熟な状況です。世界盲ろう者連盟は2001年10月に発足致しましたが、まだ活発な活動を展開しているとは言えない状況です。
現在は、私を含めて世界各国の10人の執行委員会やインターネット上での会議をしているほかは、スウェーデンのオールソン会長などが国連その他、若干の国際会議に出席して、盲ろう者の立場をアピールしているのが精いっぱいの状況です。
日本国内では1991年に全国盲ろう者協会が発足していますが、これはどちらかといえば盲ろう者への支援組織の性格が強く、純粋な意味での当事者団体とは言えません。現在、全国の33カ所に発足している地域の「盲ろう者友の会」などを統合して、「全国盲ろう者団体連絡協議会」を発足させようと準備会を立ち上げて、作業を進めています。
しかし、コミュニケーションと情報入手、そして移動の三つのハンディを同時に抱えている盲ろう者は、素早い対応がなかなかできず、かなり緩やかなペースでしか活動が展開できません。
私たち盲ろう者の組織運動は、このようにスローペースなのですが、皆さんと同様、自立と社会参加を目指して日々苦闘しておりますので、どうぞ温かい連帯の手を差し伸べていただければと存じます。
どうぞ今後ともさまざまな意味でのご協力をよろしくお願い致します。
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質疑・応答・ディスカッション
田中 10分ずつという大変短い時間でご発言いただいたので、お分かりにならなかった部分がたくさんおありになると思います。ここでご質問とかご意見を伺いたいと思います。どなたかいらっしゃいますか。
会場/加藤 こんにちは。難民を助ける会の加藤と申します。中西さんのご発表内容についての質問ですけれども、ニューヨークでの第3回特別委員会での意見陳述ので、「データの欠如により、障害者が不利を被っている」というふうに書いてありますが、もうちょっと詳しくそれを知りたいと思いまして。何のデータの欠如により、障害者がどんな不利なことを被っているのかを知りたいと思います。お願いします。
中西 ご質問ありがとうございます。障害人口だけを見ましても、例えば国毎の障害の定義がばらばらであり、十さらに分な調査ができてないという国がほとんどです。特に途上国になればなるほど、つまり、障害者でサービスが十分でない立場に置かれている人が多い国であればあるほど、人口統計から始まって、障害に関するデータが不備です。
この原因の一つは、障害の定義が、その国で十分にできていないこと。それから、調査に当たる人の意識というか、知識がばらばらであって、例えば調査員が行ったときに何も答えられなけれない人がいたら、調査員は「ああ、じゃ、知恵遅れだ」と簡単に決めつけたりします。でも、実は耳が聞こえなかったとか、いろいろな例が途上国の話を聞いているとあります。
障害の調査が十分でないために、例えば途上国によっては政府の発表が「障害者人口は国の1.8パーセントである」という数字しか出てない国があります。でも、現実には、1981年からの国連の障害者年から言われている障害者の割合は人口の10パーセント。これには、内部障害とか、いろいろな種類の障害者を含めるのですが、そういう数が言われている中で、1.8パーセントの人しかいないと言われている国では、当然、障害者に関する予算も不利です。これは、そういう状況を訴えての発言です。
会場/加藤 はい、分かりました。ありがとうございました。
田中 ほかにございますか。はい。
会場/原田 リハビリテーション協会の原田です。同じく中西さんへの質問ですが、意見陳述の中にある「重度や重複障害を特筆することは医療モデルに則っている」という部分について、もうちょっと詳しく聞かせていただけないでしょうか。例えば、常時医療的なケアが必要な人たちなど、特別な配慮を必要とする場合もあるかと思うのですが、そのような人々に対して、DPIではどのような理念から特筆しないとおっしゃっているのか、お教えください。
中西 重度や重複障害だから何々が必要で、特別な何かをしなきゃいけないということではなくて、障害を持つということが重要です。適切な例でお話ししますと、電動車椅子。両手が使える障害者は電動車椅子には乗るべきではないというような専門家の意見があったりします。重度障害者は電動車椅子に乗る権利があって、重度じゃない人は権利がないのかというと、そうではなくて、その人が早く職場に行って、職場の中であちらこちら移動をして、効率良く仕事をこなすために電動車椅子が必要であれば、それは、その人が四肢麻痺の重度障害者に比べて、手が使える軽度の障害者だからといって、そこで差別をしてはいけない。そういう考えに基づいての発言で、この23条のどこのどの部分でというのは、ちょっとはっきりしてないんですが、単なる医療的な判断で重度、重度じゃないというふうに使って、サービスを区切るという、そういう現状に対する検証という意見と考えていっていいと思います。
会場/野村 中西さんにお伺いしたいことがあります。最後の所に書いてあるんですが、その意見の所で「生活水準と社会保障は別途に考えること」というふうに書いてあるんですが、そこの辺りについて具体的にもう少し詳しくお話をお伺いしたいのですが。(笑い)
中西 私がこの意見陳述を見ましたのは、ランドマインサバイバーの報告です。地雷障害の方たちのすごく優秀な団体です。彼らは第1回目の特別委員会から毎日の記録をそれこそ各団体の意見、また各国の意見として記述し、出席していない者にまで討議の展開がわかるように提供しております。彼らのホームペ−ジは、1、2回目に関しましては日本障害者リハビリテーション協会のほうのホームページで日本語訳が掲載されていて、3回目は残念ながらまだ出てないんですが、よい情報源tです。
その場のだれの意見にどういうふうに言ったというようなことも本当は加味して、例えばDPIは、こういう意見陳述を行ったというのも考えなければいけないのですけれども、今分かる範囲でお答えします。
生活水準が低いから、そこで社会保障をするというような問題ではなくて、途上国、それから先進国によって、その国での生活水準、水準というのはスタンダードですから、平均の値と取っていただいても構わないのかもしれませんけれども、当然その社会・文化的状況によって異なってきます。それから、例えば途上国の中でも後発開発途上国として、GDPで言うと、すごく低い国で、この国は貧しいのかと思って行くと、想像に反して豊かで、みんな働かなくても、とにかく食べていくことができて、日本の人なんかよりもとっても広いうちに住んでいてということが現実としてあるわけです。
そういう意味で、社会保障というのは生活水準が高い、低いの問題ではなくて、その人の受ける権利としての当然保障されるべきだという意味で使っているのだと思っていただいていいと思います。
会場/吉川 視覚障害です。この権利条約ができたあとと今と比べたときに、何が違っているといいかをいろいろ考えてみると、当事者も、それから障害のない人たちも、お互いがそれほど大きな犠牲を払わずに平等な生活ができ、お互いの関係が持てるというようになることが、この条約の必要性なのではないかな、と僕自身は思うのです。
先程からモニタリングのメカニズムというお話がありますが、もしそこの条約が批准されたときに、それを実行しないとか、または違反しているというときに、そのモニタリングと言われているものの中に、かなり強い罰則規定だとかペナルティがないと、「いくら評価しても、それぞれの国の事情で実は違うんだよ」という話で、結局は内容的にあんまり変わらないことになるのではないかなと思うのですが。
こういう国際条約のときのモニタリングと言っている場合には、かなり拘束力のあるようなペナルティの内容まで含まれるのかどうか。ぜひそういうところまで踏み込んでもらえるといいなというようにちょっと思うんですが。どなたにお伺いしていいのか、ちょっと分からないので。
会場/北川 今のモニタリングに関連して。私はプノンペンの会の北川と申しますが、同時に地雷廃絶日本キャンペーンというのをやってます。中心に地雷廃絶の国際キャンペーンという所がありまして、そこが中心になってモニターをやっています。
地雷については「地雷禁止条約」というのが1999年に発効しまして、その中で毎年、締約国会議というのを開いて、条約に書いてあることの進行状況の報告をするようになっています。それは政府レベルの報告なのですけども、それに並行してわれわれNGOが、各国政府が条約をいかに守ってるかというのをNGOレベルで調査をして、約千ページの報告書にまとめ、締約国会議の政府の代表の間に、それを配っています。
おっしゃる通り、条約には何の罰則もないのですね。けれども、そうやって各国の政府の条約を守っている状況についてNGOが判断した評価を公に発表するということによって、間接的にペナルティーが与えられているというかたちになっています。それが今、実現できる一番可能な方法であると思います。
それからもうひとつ、先程の中西さんのお話でふれられた、この「Vox
Nostra」、「我ら自身の声」ということに関連して。ICBLでは「レーシング・ザ・ボイス」という運動をやっています。障害者の声を上げようという運動で、必ず政府レベルの締約国会議のときに、障害者がちゃんと壇上に上って、それで発言をするようにしていますが、また、その発言をするための訓練もしています。やはり公の前で発言するのには訓練が必要ですから。そういう障害者の人が公の場所で発言して、組織的に障害者が声を上げ、デシジョンメーキングに障害者が参加できるようにということを政府レベルの会議のもとにやっております。2点、挙げました。
松井 先程も言いましたように国連には既に6大人権条約があるわけですね。それをモニターしているのは国連の人権委員会ですけれども、その人権委員会自体、資金不足で体制が整っていない。
第1回の特別委員会の時に、かなり話が出たのですが、日本も含めて、例えば5年に1回必ずモニタリングの報告を出すということですけれども、その報告がきちんと出てこない。日本も、社会権条約なんかの報告について3年も4年も遅れて出す、と。たとえ出しても、国連は191カ国で、すべての国が認めてないにしても、例えば児童権利条約なんかは180近い国が認めてるわけですよね。 180国から出てきた相当分厚い資料をごくごく少数の担当者が結局、目を通す、ということです。しかも、それはさっき北川さんがおっしゃったように、政府からの報告だけでなくてNGOからも出てくるわけですね。だから、それを全部目を通して、この国に対して「何らかの問題が・・・。」ということで勧告をするというかたちになるだけの体制がない、ということなのです。
そういう意味で、まず新しい条約を作る前に、まずそちらの強化をすべきじゃないのかということになるのですが、アメリカも含めて、もうできるだけ国連には金は出したくないわけです。そこが本当に実は問題で。アメリカがそう言っているけども、じゃあ、日本は10倍ぐらい金を出すから頑張ってくれ、と、そんなことをとても言えるような状況じゃないでしょう?
そういう意味では、国連レベルではなく、むしろ国内の法律の中で対処する。例えば、まだ障害差別禁止法というのは世の中にないですけれども、もし仮にそれができることになれば、その中に罰則というのは当然入ってくるわけでしょうから。だから、国内で対応するということが、そのための根拠として権利条約を使い得るということではないかというふうに思いますが。
中西 今、いろんな方のお話から出たように、条約というのは、罰則等があるような国内法とは違うものです。今回、私たち障害者団体としては、これができたらどうなるのかと、今考えているところです。まず、作成されたらそれをまず日本政府がすぐ批准をしなければいけません。日本はこれだけ特別委員会で積極的な発言等を行っているので、今回に関しては、そんなに批准は時間かかるとは思えません。しかし、どう使うかというときに、これだけでは不十分なので、ひとつ、国内で差別禁止法を進めていこう、つまり、この条約と同じような趣旨で、国内で障害者の権利が保護されるように、もっと具体的な言い方で罰則規定を盛り込んだ「差別禁止」の法律が欲しいということで、今、運動を進めています。
一応、国会で議員連盟もできまして、だんだんと進められるような体裁になってきていますので、条約と並行して差別禁止法を進めることがやるべきことだと思っています。
また、条約に批准するということは、政府がこれを認めたということですので、何らかのかたちでの政府のいろいろな施策がうまくいかなかったときに、これを基に、一つの盾として、根拠として交渉に臨むことが可能になります。それがために、やっぱり今、私たちとしてはぜひ早く進めていきたい。また、いい内容で進めていきたいとに考えています。
小椋 私の意見なのですが、アジア太平洋地域の事務局で、1年に1度、代表者会議というのが開かれています。私の事務局の対象としては52カ国あるのですが、中にろう協会が作られているのは19カ国です。そこの代表者が会議に参加していて、情報交換をしています。
今のような障害者の権利条約のことは知っているかと聞きますと、皆さんほとんど知らない状況で来ています。今までのESCAP等、国連の会議のほうでは、たくさん開かれているんですが、ほとんど政府だけが参加している状況です。国際会議の中では、会議が終わると必ず地元のその障害者団体の意見を聞くというふうに決めています。しかし、実は、参加した政府が地元の障害者団体に何も聞かない、ということが多いような状況で、それが問題になっています。
日本だけが情報が分かっているということではなく、できるだけ各国がその権利条約の情報をきちんと広まるように、与えられるように努力していきたいというふうに思っています。
田中 はい、ありがとうございました。何か罰則関連でありますか?
松友 モニタリングの問題は、最初からいろいろ大きな課題のようですね。ただ、国連自体の、いわゆる力というのは、イラク見ても、あるいは北朝鮮問題を見ても分かりますように、それがどう罰則うんぬんかとなると、なかなか政府関係の問題で難しいようですので、先程から出ていますように、各国のモニタリングの対応を批准を通じてどう作るかということかと思いますが。
今回はどうなったか分かりませんが、前回までは、先程出ましたリーズナブルアコモデーション(合理的配慮)を巡っていろいろ議論がありました。いわゆる権利をどう保障するかというときに、罰則、いわゆる差別禁止法的なアプローチでいくのか、権利を引き上げるという施策の対応でいくのか、この二つを何か専門的に言っていましたね。方法論があるんだそうです。
日本政府は差別禁止法でなくて、権利を上げていく、権利保障法的なことでやりたいという思いがあるようで、その辺りが今後どうなるか。その両方をやれというのが、われわれの主張ですが、二兎(にと)を追うじゃないですけど、論理的に両方ができるのか、できないのか。これはちょっと大きな今後の課題ですね。
例えばもう既に国内で議論が上がっているのは雇用です。エンプロイメントにおいて、日本は、いわゆる雇用率という一種のアファーマティブアクション的な政策をやっていて、これは決して差別的なあれではなくて一つの方策だということで、それはそれなりに認められているようであります。ところが、イギリスは、かつてそういうアプローチだったのが、何年か前からそれをやめて差別禁止法、つまり「アメリカのように特別な配慮をしないけども、逆に障害があることに対して差別をしたら、これをいけないよ」というかたちの方式に切り替えた。
日本も、もしそういうふうになるとすると、雇用率という制度は廃止して、差別禁止法というかたちに持っていくのかどうかということで、実は数年前から雇用の問題では、かなり国内的にも議論があります。
私たちは「両方やれ」というふうに言っているんですが(笑い)。
ですから、批准するときも、結局は各省庁の、いわゆる現制度との整合性というか、今やっているシステムをどう変えるか変えないで済むかとかいうところで、国内問題の中においては、かなり大きな動きが出てくるだろうと思います。
ネックは、やはり文部科学省ですね。教育問題についてのシステム、差別禁止法というかたちのアプローチと権利保障というアプローチとの間の調整というか。この辺り、われわれのほうとしても、理論的にも運動論的にも、まだじゅうぶん整備されているとは言いがたい、と言われる方もおられますから、いろいろまたご意見をいただいていきたいというふうに思っています。
松井 非常に難しい問題なんですけれども、実は先程冒頭で言いましたように、世界191カ国の中で3分の2が途上国ということで、アメリカはこの権利条約については、どちらかといえば反対。今はニュートラルというふうに言っていますけれども。
それは結局、これを作れば、やっぱり先進国が途上国を支援することを期待されてくるのじゃないかということです。実際問題として、権利条約の中にはお金を使わなくてもできる部分と金を使わないとできない部分がありますよね。例えば先程の教育の問題。保健にしてもリハビリテーションにしても。
だから、結局、途上国の問題は、途上国の自助努力でやればいいというふうに割り切るのか、あるいは、やっぱりできれば、地球家族という意味で、先進国はかなりの程度、途上国における障害を持った人たちの生活の改善のために協力していくというのか。そこは実は非常に大きな論点となります。特にJANNETのことで言えば、やはりそこは非常に関心事だと思うんですけれども。ここは一番難しいところですよね。日本も含めて、だんだんいわゆる援助疲れをしてきたと言うか、これ以上、金、出したくないということが非常に強いでしょう?そういう中で、われわれ、今後NGOとしてどう取り組むのかということが問われるんじゃないかというふうに思います。
会場/和泉 非常に細かいことですけれど、いいですか。
僕は視覚障害です。ろう連盟の方の発言の中で、僕が聞き間違えたのかもしれないのですけども、手話は言語の一つであると。点字は代替手段であると言われていたと思うんですけど、点字しか知らない人は点字でものを考えているし、点字の公式な規則もありますし、やっぱり点字は一つの文化と僕は思っているんですけども、食い違ってないんでしょうか。
小椋 はい。私の言い方で、ちょっと問題があったかもしれません。その辺は申し訳ありませんでした。
盲の方の場合には点字を読む。これは読み言葉というふうに考えれば、われわれろう者の場合には文字を読むということになりますね。ということで、盲の方の場合には音声言語で話す場合、われわれの場合には、われわれろう者の場合には音声言語が使えないということで、手話を使うということです。手話通訳者を通して情報を発信していくという意味です。
私のほうから言いたいことなんですが、盲の方は音声言語をずっと使っていける。われわれろうの者は手話を使っていくということですね。例えば中国人の方が、例えば日本に来たときに、情報が全く得られませんね。そのときには通訳が必要になりますよね。通訳を通して、その情報を得るということになります。
それから、音声の場合には音が伝わるわけですね。ろう者の場合には視覚的な感覚で伝わります。そういうことでの言語、というとらえ方をしていいのではないかと思うのですが。あまりうまく説明ができてないかと思うのですが、そんなような考え方をしています。
それから、アラブ地域ではクルド人が多くいます。クルド語として音声言語を使っています。しかし、書く場合には、イラクの場合でもアラビア語を使います。アゼルバイジャンはキルド文字を書きます。更にラテン文字も書きます。盲の方のためにラテン文字の点字が作られています。クルド語は使わなくてもアラビア文字が書ける、あるいはキルド文字が書ける、けれどそれだけでは、やり取りがなかなか難しいということになりますね。クルド語として、音声言語と同じように文字も作ったほうがいいのです。書き言葉としてはアラビア文字・キルド文字もあるのですが。
そういうところで、点字と手話との違いがあるのではないかというふうな考えを持っています。
田中 手話は言語なのですね。言語そのもの。点字は文字ですから。そこの違いだと思います。
それじゃ、そろそろ時間が参りましたんで、この辺で研究会を終わりにしたいと思います。
ご協力どうもありがとうございました。また、発表してくださった皆さん、どうもありがとうございました。(終了)
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