「障害者の権利及び尊厳の保護及び促進に関する総合的かつ包括的な国際条約」いわゆる「障害者人権条約」に関する専門家ワークショップがエスカップ主催で2003年10月14日(火)から17日(金)までの4日間、タイ・バンコクの国連センターで開催されました。この会議の出席者は政府代表(日本、中国、タイ等)、国連関係者(エスカップ、ILO等)、障害当事者組織代表(世界ろう連盟、DPI、RI等)によって構成されています。会議はアンドリュー・バーンズ教授(オーストラリア国立大学法学部)が最終日に討論の結果を文書をまとめ、エスカップから国連アドホック(「障害者人権条約特別委員会・以下アドホック)に提出する「障害者人権条約・(案)」(以下「バンコク草案」)を決定しました。障害当事者の発言が尊重され、最終的にその意見が基本的に取り入れられ、障害当事者にとって極めて満足すべき内容を備えた「バンコク草案」となりました。なお、このワークショップは日本政府のスポンサー(資金提供)によって開催されたものです。
「バンコク草案」の特徴
この会合はワークショップと言いながら実際にアドホックに提出する「バンコク草案」を作成するためのもので大変重要な意義を持っています。アドホックはそれ自体(案)を作成することなく、提出された各案について審議をおこなうのでエスカップより提出の「バンコク草案」が叩き台の一つとなります。 アドホックに対する
(案)の提出権は国連加盟国政府及び地域委員会(エスカップもその一つ)に限定されています。また、現在の情報では(案)を提出したのはメキシコ政府とエスカップのみです。
ワークショップは14日午前開会され、議長にはビーナス・イラガン(DPI世界議長)、副議長には高田(英一)はじめ5名が選出されました。 開会にあたって日本政府代表・高田(稔久)在タイ日本大使の挨拶があり、日本政府として「びわこミレニアム・フレームワーク」の実行を推進し、日本政府はNGOと協力して条約制定作業に取り組むとの積極的な意志表明がありました。
会議直前には、「バンコク草案」(第1次案)が、アンドリュー・バーンズ教授(オーストラリア国立大学法学部)から提案され、その趣旨説明と他の報告の後4日間4つの分科会で討議する方針が示されました。日本からの主な参加者のうち高田は第1分科会(前文、定義、締結国の義務)、増子外務省事務官、東俊裕弁護士(政府代表顧問)は第2分科会(市民的、政治的権利)、松井亮輔氏と中島和氏が第3分科会(経済的、社会的、文化的権利)に参加しました。なお、第4分科会はモニタリングの検討が中心でした。
4日目の最終日には、分科会討議の結論を受けて全体会による「バンコク草案」(第2次案)が審議されました。しかし、高田が第1分科会で提案した定義(手話を音声言語と同等の言語とすること及びそれに伴う政府の義務、聴覚に障害のある児童の手話教育の権利)等が「バンコク草案」(第2次案)に十分反映されなかったため、再度
全体会に提案、全体の支持を受けて追加することとなり、バーンズ教授も時間的余裕がなく記載漏れとなったことを認め、高田修正案が全面的に受け入れられました。
エスカップによる障害当事者、政府代表などを含む専門家による「バンコク草案」は、ろう者の立場からだけでなく、障害者全体にとってまことに大きな意義があります。障害者の分野が多様であること、当事者といえども自己の障害分野にしか知識のないことを認識し、多様な分野の当事者による提案は全体的に支持の下に基本的に採択されたことは、国際的な障害者同士の理解と団結を示すものといえます。
ろう者に関しては、
@ 手話を言語として認めること。
A 言語としての手話を差別しないように政治的、法的、行政的な措置をとること。
A 手話通訳者の養成を国の責任で行い、万人のコミュニケーションを保障すること。
B 聴覚に障害のある子供の手話教育の権利を認めること。
など、ろう者の「完全参加と平等」に道を開く規定が「バンコク草案」に盛り込まれたのは画期的な成果です。
今後、この「バンコク草案」を国際障害同盟(IDA)の運動を通じて、国際的にも、国内的にも周知に努め、さらに論議を重ねよりよい案として整理していく努力が必要になるでしょう。
日本政府は「障害者人権条約」の採択について積極的な姿勢を見せています。この姿勢を本番までもっていくために、国民的な支持は非常に重要です。幸い国内においても新しい障害者による統一的な組織結成が始まっていますので、この統一組織の具体的な目標として、国民的大運動を展開するなかで国民の支持を集めていきたいと思います。(了)