プノンペンの会
北川泰弘
人間に過度の苦痛を与える兵器の使用を禁止する条約は、化学兵器、生物兵器、核兵器等を禁止する条約が色々あるが、オタワ条約は対人地雷の全面禁止のみならず、地雷による被害者の治療、リハビリテーション等の援助の提供を求める、世界で始めての条約である。条約で定められた事項をその通り各国が実施しているか? 問題点はないか? について情報交換し、討議する締約国の年次会議が去る2003年9月16日から19日までバンコックで開催された。
この会議には政府代表のほかに、NGOもオブザーバーの資格で参加し、意見を発表する事ができる。NGOを代表してICBL(地雷禁止国際キャンペーン)が発表した資料によると、地雷および不発弾によるこの一年間の推定犠牲者数は15,000人〜20,000人であった。
世界中で26分から35分に1人が死傷している計算である。2000年に米国国務省が発表し、各方面で転用されてきた、毎年26,000人という推定数に比較すれば減少である。
しかし、犠牲者が出た国の数は4ヶ国増えて、2002年6月から2003年6月までの1年間で新しい犠牲者が出た国は65ヶ国で、その中には戦争が終わり平和になった国が41ヶ国あった。チェチニア(5,695人)、アフガニスタン(1,286人)、カンボジア(834人)、インド(523人)、イラク(457人)、コロンビア(530人)等である。激しい戦闘のあったイラクの死傷者の数がインドより少ないのは奇異な感じがするが、死傷者があっても通信手段が無く報告されなかったから、と思われる。
見過ごされ勝ちなのは、毎年の新犠牲者数が減っても、身体に障害を負った人の総数が増え続けていることである。それにも関わらず、援助総額の90%が地雷除去プロジェクトに向けられ、犠牲者援助額は10%以下であった。また、2002年について言えば、総援助額の大半がアフガニスタンの地雷除去に集中した。会議の席上、やはり地域、分野ともにバランスよく配分されるべきである旨の指摘が目立った。犠牲者支援に外国の援助が必要だ、という国が48ヶ国あった。
その結果、地雷除去に偏ることなく、犠牲者支援についても、治療、リハビリ、そして社会復帰までの一連の長いプロセスを理解し、長期的に取り組んでいくべきだという認識を、会議の席では共有することが出来た。
その認識を実現し、犠牲者支援額の割合を増やすには、犠牲者支援関係者がこの認識を強く、継続的に政府等の援助行政担当者に広める必要がある。さもないと、2003年の援助額の大半がイラクの地雷除去支援に偏る結果となるであろう。(了)